第186回国会 法務委員会 第21号(平成26年6月4日(水曜日))

江崎委員長

次に、橋本岳委員。

橋本(岳)委員

 おはようございます。自由民主党の橋本岳でございます。

 土屋委員に続きまして、児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の一部を改正する法律案につきまして質疑をさせていただきます。

 まず、この法案は、今回、提案者の皆様方が大変な御苦労をされて取りまとめていただきました。また、先ほど谷垣大臣から、その骨格をつくったのは私だという話がございましたけれども、ここに至るまで、さまざまな議員の方、もちろん、議員に限りません、いろいろな方々が力を合わせて、ここまでこの法律をつくってきていただいた、そしてまた、きょうこういう機会が持たれたということは、本当にそのいろいろな方々の協力があっての、努力があってのことでございます。

 まずもって、ここまでつくっていただいた御提案者の皆様方に心から敬意と感謝を申し上げたい、このように思っております。お疲れさまでございました。まだ終わっていませんから、成立するまで頑張りましょうということであります。

 ついては、せっかく御提案をいただきましたので、その改正点について幾つか、クリアにするという観点で質問をさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 私からは、いわゆる三号ポルノと呼ばれているところについて、今回の改正で詳しくなりました。改正前は、「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」、こういうことになっておりましたが、今回の案では、「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって、殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀部又は胸部をいう。)が露出され又は強調されているものであり、かつ、性欲を興奮させ又は刺激するもの」、こうなっております。ここら辺の言葉遣い、ちょっと一つ一つ尋ねていきたいと思います。

 まず、「殊更に」という言葉がございます。単に写っているじゃだめよ、殊さらに写っていないとだめよということなんだと思いますが、どういう意味でこの言葉が入っているか、教えてください。

ふくだ委員

 橋本議員にお答え申し上げます。

 「殊更に」とは、一般的には、合理的な理由なく、わざわざとか、わざととかという意味と解されるところでございますが、これは、当該画像の内容が性欲の興奮または刺激に向けられていると評価されるものかどうか判断するために加えさせていただきました。

 その判断は、性的な部位が描写されているのか、あるいは児童の性的な部位の描写が画像全体に占める割合、例えば時間だったり枚数だったりですね、そうしたものの客観的要素に基づいてなされるというものと考えております。

橋本(岳)委員

 そういうことで、多少制限をかけたということなんだろうなというふうに理解をいたします。

 続けまして、「児童の性的な部位」というふうな表現になっております。その後、括弧書きで少し具体的に書いておりますが、改めて、どのような意味でこの文言があるか、教えてください。

ふくだ委員

 具体的には、まず、衣服の全部または一部を着けない児童の姿態のうち、児童の性器等、例えば性器あるいは肛門または乳首が露出をしているというものを真に可罰的なコアの要素と捉えつつ、性器等のみでは処罰範囲が狭過ぎて、例えば裸の児童を後方から撮影して性器等が写っていない場合まで対象外となってしまうことから、性器の周辺、例えば臀部だとか胸部などを含む児童の性的な部位にまで対象を今回広げさせていただいたということで御理解いただきたいと思います。

橋本(岳)委員

 もう一点御確認をします。

 「露出され又は強調されている」ということになっております。「強調され」という言葉の意味を教えてください。

ふくだ委員

 露出のみでは、性的な部位が隠れてはいるけれども強調、誇張されている場合などが含まれないということになってしまいますので、性的な部位の強調も対象とすることにさせていただきました。

 具体的にどのような場合が強調に当たるかについては、描写の方法を含めた写真及び映像等の全体からこれは判断されるものであると思っております。例えば、着衣の上から撮影した場合や、ぼかしが入っている場合や、児童が意識的に股や胸を強調するポーズをとっていない場合であっても、性器等やその周辺部を大きく描写したり長時間描写しているかどうか、着衣の一部をめくって該当する部分を描写しているかどうかなどの諸要素を総合的に勘案しまして、性的な部位を強調していると判断されることはあり得るというふうに考えております。

橋本(岳)委員

 ありがとうございました。

 要は、こういう文言を追加するということで、単に、性欲を興奮させ刺激をするものというのは余り客観的とは言えないような条文にもともとなっていたわけですけれども、もう少し判断基準を追加して、わかりやすく、判断しやすくしたということなんだろうというふうに理解をしておりますが、そういう理解でいいか、確認してください。

ふくだ委員

 今回の二条三項三号の改正は、当該画像の内容が性欲の興奮または刺激に向けられているかを、性的な部位が描写されているか、児童の性的な部位の描写が画像全体に占める割合の客観的要素に基づいて判断をするために加えさせていただいたものでございます。このような判断は、従前、性欲を興奮させまたは刺激するものの該当性判断の一要素として行われてきたところでございますけれども、今回の改正は、このような判断を行うことを明記することにおきまして、三号ポルノの定義の明確化を図るという趣旨でございました。

 これによりまして、例えば、水浴びをしている裸の幼児の自然な姿を親が成長記録のために撮影をしたようなケースとか、あるいは、その画像の客観的な状況から内容が性欲の興奮または刺激に向けられていると評価されるものではない限り、殊さらに露出されまたは強調されているものとは言えずに、処罰の対象外になるということでございます。

 このように、「殊更に」との文言を追加することにより、画像の客観的な状況から三号ポルノの該当性判断を行うとの趣旨が明確になり、処罰の範囲をより明確にすることができるというふうに考えておるところでございます。

橋本(岳)委員

 ありがとうございました。

 まさにおっしゃるとおりで、処罰を加えるからには、きちんとその基準というのは明確でなければならないという原則的なことがあるわけでございまして、そういう意味で、今回の改正の中でそうしたことができたということはいいことだと思いますし、逆に言うと、では、子供の肌が写ったものは一切いけないのかというと、別にそんなことでもないよということもあるということで、ある意味で、子供の健全育成に害のある、まさに児童ポルノと呼ばれるような類いのものをいかにしてクリアに定義をするかということで、今回の提案者の皆様方、御議論された方々の御苦労があるんだろうなということを拝察する次第であります。

 では、続きまして、これは先ほど土屋議員も御発言になりましたけれども、漫画、アニメ、CG等について私なりの思いを申し上げさせていただきたいと思います。

 さっき土屋先生が挙げられたような事例が決して繰り返されるべきではない、私もそのように思います。私も子供の親、娘を持つ親でございますから、当然、自分の子供たちがそんな目に遭ったらどうなるか、どう思うかということは痛いほどわかるつもりでありますし、また、世の中には、目を背けたくなるような写真にとどまらず漫画、アニメ、CG等がある、あるいはインターネット等を検索すればそんなものは幾らでも出てくるということも承知をしておりますので、これをそのままにするのはどうなのかという問題意識自身、私も共有をするものであります。

 ただ、これは法律をつくる立法者の私なりの矜持の一つとして、やはり、きちんと検証されない仮説によって法律、規制をつくるべきではないと私個人としては思っております。

 さきに撤回された改正案の附則ではこのように書いてありました。「政府は、漫画、アニメーション、コンピュータを利用して作成された映像、外見上児童の姿態であると認められる児童以外の者の姿態を描写した写真等であって児童ポルノに類するものと児童の権利を侵害する行為との関連性に関する調査研究を推進するとともに、」云々、こういうことになっておりました。

 したがいまして、条文上、いいのか悪いのかという価値判断はしないのだ、ただ、関係性があるのかないのか調べるのだ、調査研究をするのだ、それは政府がやるのだ、こういう規定になっておりました。

 だということは、土屋議員がおっしゃりたかったことも僕はよくわかります。そうした犯罪をした人の家宅捜索をしてみたら、そうした児童ポルノの類いの映像、漫画等がいっぱいあった。あることでしょう、きっと。だから、そういうことがケースとして当然あったということは十分に承知をしております。そして、もしかしたら犯人の人がそういうものを見て犯行をしたいと思ったということもあり得ることだろうと十分に思います。

 その上で、しかしながら、では、その漫画、アニメ等を規制すれば児童に対する権利の侵害は減るのか。これが減るということが立証されれば、それは規制されるべきだという話になるわけですけれども、その因果関係を立証するというのは実はそんな容易なことではないと個人的に思っております。

 私も議員になる前は調査屋さんでしたので、社会調査屋さんの一人として、仮に私が調査研究をしろと言われたときにどうするのかということを考えてみますと、まず、児童の権利を侵害する行為をすること、あるいはそうしたことをした人、する人と、児童ポルノ等の漫画等が相関関係があるということがまず前提として必要です。

 そこの調査というのはまずすごく難しいですね。なぜか。要するに、犯罪をした人は家宅捜索されますから、そこに何冊漫画があったとか、こういうポルノがあったとかいうことがわかります。だけれども、それを幾ら積み重ねても相関関係の立証はできません。というのは、要するに、犯罪をしない人、ごく一般の健全な方がどのぐらいそういう類いのポルノ、漫画を持っているのかということと比較をして差がないと相関関係の立証になりません。

 要するに、犯罪をする人のことに、当然、それが新聞報道になりますから、こういうことがあった、ああいうことがあった、みんなそういう印象を持ちます。それは間違いなくそういう人もいると思います。だけれども、もしかしたら、もしかしたらというか、僕は十分に蓋然性のあることだと思いますが、別段犯罪を犯さない健全な社会人として生活をしている人だって、もしかしたらそういう本を個人で楽しんでいる人というのはいるかもしれません。別に、本屋で売っているものです、成人であれば買えます。それを個人で自分の部屋で眺めて楽しんでいる分には、何ら法規制をする社会的な害悪のある行為ではないということでありますから。

 では、その人たちに対してどうやって、あなたは何冊ポルノの類いの漫画を持っているんですかと。これは家宅捜索するわけにいきません。アンケートして、調査票にそんな質問を書いたって、真面目に答えるかどうかわからない。センシティブクエスチョンという言い方をしますけれども、その回答が信頼性がどのぐらいあるかということが疑われる。

 仮にここで、ふくだ峰之先生、何冊持っていますかといって、もしかしたら、正直にお答えになるかどうか、それはわかりませんけれども、いや、ふくだ先生はきっと正直にお答えになると思いますが、ただ、それが本当に正しいかどうか検証するすべが誰にもない。

 したがいまして、相関関係があるかどうかの調査そのものがまず非常に困難だということがあります。

 そして、仮に相関関係があった、犯罪を犯した人の方が例えば児童ポルノの漫画をたくさん持っているということが立証されたとします。だけれども、今度は、これが因果関係なのか相関関係か、そこの鑑別がまた一苦労があります。

 要は、単に、相関があるね、だけれども、実は別の原因があって、その原因によって漫画も好きだったし犯罪もしてしまうことになったということであれば、児童ポルノの類いの漫画を仮に規制して世の中からなくしましたということをしても、犯罪は減らないということになります。そうかもしれません。わかりません。

 ですから、そうしたことをどうやって排除するのかということは、では、時系列的に見ていこうとか、いろいろ社会科学のさまざまな方法論の中で検討をしていかなければなりませんけれども、なかなか容易なことではございません。きちんと慎重な手続に沿って結論を出していかなければならない、まさにセンシティブな問題だというふうに思っております。

 したがって、私は、自民党内の議論のときに、どういう調査を考えているんですかということを質問しました。そのときには、ちょっと正確ではないかもしれませんけれども、まだ具体的な想定はしていませんとか、その類いの返事が返ってきました。だから、私は、この項目は削除すべきだということを党内で申し上げました。

 自然科学において、あるものが存在をするかどうか立証するというのは、一例存在すれば、STAP細胞はあると言っていることが、今のところ、本当かどうか立証されていませんが、誰かが一例実験に成功すれば、あるということになる。それが自然科学です。

 だけれども、社会科学は実験ができない。その中でどうやってやるか。そのために、調査とか観察とかいろいろな手段があるのであって、そうしたことの厳密な手順を踏まないと、統計というものは容易に、統計はうそをつくという、まさにそういったタイトルの本がありますけれども、つくる人も読む人も、きちんと、もっともらしい統計だとかそういうものは疑って考えないといけないと私は経験的に思っていますし、それをつくるという立場になったとしても、非常に慎重なことが必要なのであって、それで初めて結論が出せることだと思っています。

 結論が出て、それで規制をしようというんだったら、僕は、すごく、もうもろ手を挙げて賛成をします。だけれども、現行では、そういう調査をしようということを法律に書くというのが最初の提案でございましたから。

 日本の社会というのは、パトカーがうちの前にとまっているだけでも、あのうち、何かあったの、こう言われるようなところがございます。法律そのものにいい悪いということの価値判断は書いていないとしても、法律に書いてあるということで、創作者が萎縮するかどうかはそれは創作者の問題ですけれども、少なくとも周りの人はそう思うということになるわけであって、私は、規制というものをするのであれば、きちんと社会科学的に裏づけのある有効な規制をしなければならない、そうではない規制というのは、国会として、立法府として、そうした規制というのはつくるべきではないと思っておりますので、今回、そういうことは外すべきだということを申し上げました。今申し上げた点についてどう思うか。

 それからもう一つ、あわせて質問をします。

 ただ、今までるるこの規制を外すべきだという話をしましたが、そうかといって、では、ずっと放置しておいていいのかと言われると、私も、必ずしもそれについて、全く、もう放置したままでいいんだと断言をする自信もございません、正直言って。本当に目を覆うようなものもあるということも認識をしております。土屋委員のおっしゃりたかったこともよくわかります。

 だとすれば、それは今後、別に法律に書かなくたって調査検討はすればいいんだから、されるべきかもしれませんし、自主規制という言葉が出ましたけれども、そうしたこともあるべきかもしれません。その辺もあわせて、提案者から一言いただきたいと思います。

ふくだ委員

 橋本委員の御指摘は、まさに実務者協議における基本的な考え方と同じ方向を向いておると思います。

 本改正案は、あくまで実在する児童の権利保護のためのものであって、仮説に基づく判断による立法は、似つかわしいとは思っておりません。一つの個別事件を一般論として判断するのではなくて、科学的に検証された際には、本改正案の対象である実在する児童の権利保護とは別の問題として取り扱う必要があるのではないかというふうに考えております。

 また、漫画、アニメ、CGを今回検討事項から外したからといって、何をやってもよいということでは決してないんだと思います。表現の自由は、民主主義国家の運営において最も大切な国民の権利であることは間違いありません。だからといって、何を表現してもよいということとは異なるんだろうと思います。

 児童ポルノに類する創作物は、創作者あるいは関係団体等のまずは自主的な取り組みによって対応すべきものであるということを認識しておるところでございます。

橋本(岳)委員

 ありがとうございました。

 この法律によって児童の権利の侵害の被害が一件でも減ることを願って、質問を終わります。