「対馬丸」と「異国の丘」

子供の頃、総社の自宅の本棚をあさっていて、不思議な本を見つけた。
本棚には、児童向けの本が、所狭しと並んでいた。しかしその中の一冊に、表紙から裏表紙にかけて、今まさに沈まんとする船の舷側がアップで描かれていて目をひく。その本の名は『あゝ対馬丸』(新里清篤著)。戦局が悪化する昭和十九年八月二十二日、学童を含む沖縄からの疎開者を乗せた対馬丸は、鹿児島県悪石島付近で米潜水艦の攻撃で沈められ、乗船者約千八百名のうち学童七百七十五名を含む千四百十八名が犠牲になった、まさにその事件を題材とした本である(数字は財団法人対馬丸記念会公式見解より)。
読んではみたものの、沖縄戦の歴史もまだ全く知らなかった小学生の当時、「なんでこんな本があるのだろう?」という奇異感のみが、強く印象に残った。
大人になり、歴史を学び、『あゝ対馬丸』の本当の意味を知る。そして、父・龍太郎が米軍普天間基地の返還交渉の成功を喜ぶ姿を、首相公邸でじかに目にし、また対馬丸記念館の設立に関与したことを聞く。父が沖縄に特別な想いを持っていたことは多くの方々の知るところである。しかし、あまりそのことを家庭で語ることはなかった。今にして思えば、あの本は、私たち子供たちへの、父からのひそかなメッセージだったのではないか。子供の頃に見つけた自分なりの「沖縄」、私も大事にしたいと思っている。
劇団四季の演目に『ミュージカル 異国の丘』という作品がある。終戦後のシベリア抑留をテーマとした作品で、『李香蘭』『南十字星』と並ぶ昭和の歴史三部作のひとつとして好評を博している。これが結果として、私と父が見た数少ないミュージカル作品となった。父は観劇中ひたすら涙を流し続けていたという。祖父龍伍は、この作品の劇中歌でもある「異国の丘」がラジオから流れてきたとき、電気が走ったように直立不動となり、じっと聞き込んでいたそうだ。父はそんな話を後で私に語ってくれた。この曲には思い入れが深かった。
「徴兵された親類が『靖国に帰ってくるからな』と言い残して去った」世代の父と異なり、私たちの世代は、過去日本が巻き込まれた戦争を体感することは、もうない。しかし国会議員になってみると、今なお、第二次世界大戦という歴史を引きずって現在の日本が存在していることに、否応なく直面する。これは憲法や外交の話だけではない。現在の日本のあらゆる制度と感情の基礎は、間違いなく戦前と戦後にあるのだ。自分なりの「戦争体験」をしっかりと持っていなければ、この仕事はできない。
その題材を私に与えてくれた、書籍と、ミュージカルと、そして、父に、改めて感謝をしたい。そして一人でも多くの方々に我々が内包しているこの問題を知っていただきたいと、心から願う。

平成十八年八月八日に行われた父・橋本龍太郎の内閣・自由民主党合同葬において、「異国の丘」を演奏していただいた。戦争の惨さを知り、常に平和を求めた故人を偲ぶのにふさわしい曲だった。